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北九州市議会議員

大石 仁人おおいし じんと

▪︎ 1985年2月16日生

▪︎ 北九州市小倉北区出身

▪︎ 3児の父

▪︎ 元高校体育教諭

MY favorite...

[hobby]キャンプ、旅、子どもと遊ぶ
[food]白米、白米に合うもの
[song]THE BLUE HEARTS
[person]中村天風、吉田松陰、両親
[word]「絶対積極」
「人は心のスケール以上の人生をつくらない」

1985年幼少期

小倉の地に、大石家三人姉弟の末っ子長男として生まれる。 超ド派手な母と、ドシッとした父、そして「日本一!」が口癖な陽気なばあちゃんの元、のびのびと育つ。

1991年~小学生

北九州市立 足原小学校卒業 毎日友だちと公園で遊んだり、野山を駆け回る。 よく父親に、海に連れて行ってもらう。 秋の海が一番キレイという理由で、冷たい海にウェットスーツで入り、 素潜りを教わっていたがいつも唇が紫色(チアノーゼ)になっていた。 今では素潜りが特技になっている。

4年生から「スラムダンク」の影響でミニバスケットボールを始め、 毎日朝・夕、休日、一年中無我夢中で練習し、バスケットボールにのめり込む。口癖は「天才」。 この頃の経験で、一つのことに夢中になって努力することの楽しさを学ぶ。

1997年~中学生

・北九州市 霧丘中学校卒業 姉の後を追って陸上部長距離に入部。ひたすら走る日々、少しサボることを覚えてしまう。 中1の頃、突然「県境を越えたい!」という衝動に駆られ、 友だち3人と一緒に大分県まで自転車で行く。この頃から「ボーダーを超えたい!」、「新しいことにチャレンジしたい!」という思いが強かったのかもしれない。

2000年~高校生

福岡県立 小倉高等学校卒業
「バスケがしたいです・・・」という想いでバスケットボール部に入部。 再びバスケットボールに没頭する。 学校ではほぼ睡眠学習に専念する。(反省・・・) 3年次に、目標である県大会出場の一歩手前で負けてしまい、それまでの人生で最大の絶望を味わう。
部活を引退後、体育教師を目指し、広島大学教育学部を受験。奇跡的に現役合格を果たす。

2003年~大学生

第四類健康スポーツ系コース卒業 体育会バスケットボール部に入部。
体育会系の世界でバシバシ鍛えていただいた。 おかげさまで、ちんけな恥やプライドを捨てることができ、魂の男へと一歩近づいた・・・気がする。
ヒッチハイクにハマる。一人でやったり、二人でやったり…。 広島-小倉間から始まり、北海道を含め日本全国を何度もヒッチハイクで旅をする。
このときに、人の優しさに触れ、様々な人たちと接することで、コミュニケーション能力や度胸が格段に向上した気がする。 同じ学科の友だち3人でルームシェアを始める。毎日がお祭りのような楽しい日々を過ごす。

留学中

1年休学して、外から日本を見たいと思い、アメリカへ留学する。 始めはホームステイだったが、門限が守れず二週間で追い出され、 アメリカ人4人と共にルームシェアを始める。

アメリカから中南米へ旅に出て、 ニカラグアで勝手に1ヶ月間の ボランティアを始める。この時 の経験が、視野や価値観を広げ、 その後の物の見方や考え方に大 きな影響を与えている。

2008年~民間企業

「民間企業で経験してから教師になりたい」
「自分が社会でどれだけ通用するのか試してみたい」
という思いから、完全実力主義の民間企業へ就職。
学歴無関係の気合と根性だけで、のし上がれる世界を見た。

2010年~高校教師

・小倉南高校 定時制課程(常勤講師)
 教師としての原点。生徒との信頼関係の大切さを学ぶ。
・福岡県立 北筑高等学校(保健体育科教諭)
・福岡県立 小倉高等学校(保健体育科教諭)
授業や部活動、学校行事を通して、生徒の心のリミッター を外し、エネルギーを引き出す教育に力を注ぐ。
雨の中のどろんこサッカー(魂のサッカー)が懐かしい…。

2021年~初当選

元教師だからこそできる教育改革を、学校現場と行政の間に立ち本気で取り組もうと決め、2021年北九州市議会議員へ立候補。6239票を獲得し初当選。選挙区内トップ当選を果たした。
選挙ではsnsを活用し、地元友人や、高校教師時代の教え子などの若者が多く手伝った。アベマプライムの出演や朝日新聞朝刊でもその様子が報道され話題に。